ぼくの頭のなか、ひとの頭のなか

哲学を少しかじったぼくが、ぼくの頭のなか、ひとの頭のなかを考えたい

魔法使いの大学教授-勉強が必要な理由-

大学に入ると、ある学年で研究室に所属することがほとんどだと思います。

僕の大学の場合は一年生の時からです。

僕は担当教授が二人いて、授業に真面目に出ているかは置いておいて、かなり尊敬しています。

そこで印象的だったことを書きたいと思います。

大学っておもしろいところなんだと伝われば。

 

 

僕の今の研究室

僕は今、社会学と、哲学の研究室にいます。

専攻は哲学なので、社会学は趣味程度ですが。

哲学に関しては、大学受験のときに面白いと感じたのが一番の専攻理由です。

社会学は、担当教授の淀みない知識がまるでシャーロックホームズのようであり、そこを一番尊敬しているので、選択しました。

二人とも印象的なのですが、哲学が専攻なので、そちらのことを先ずは書きたいと思います。

 

魔法の研究

実は僕は二年生の後期になるまで、自分の先生の研究内容を(恥ずかしながら)知りませんでした。

新入生に向ける講義に先生が出ると言うのでそれを聞きにいった際、先生が魔法について研究していることを知ったのです。

みなさんは、人を喜ばせることができる魔法を知っていますか?

みなさんは、人を仲間につけることができる魔法を知っていますか?

 

少し考えてから、先に進んでもらえればと思います。

 

 

魔法のこたえ

先生は言いました。人を喜ばせることができる魔法は、「ありがとう。」だと。

人を仲間につけることができる魔法は、「助けてください。」だと。

 

柄にも無くとても感動したのを覚えています。

確かにそうだな、と。

ありがとうを取ってみれば、たった5文字の、音の組み合わせでしかありません。

それなのに、人にたくさんの想いが伝わる素敵な言葉です。

だから僕はとても感動しました。そういう捉え方もあるのかと。

 

人はみんな魔法使いなのですね。

 

先生は言語哲学者だということがこの時にわかりました。

 

人はなぜか他の動物と違い、言葉を操ります。

そしてそれを使って意思伝達をします。犯罪を犯した時ですら、酔っ払ったときですら、人を好きになった時ですら、それを使います。万人に共通なものだからこそ、先生はそれを魔法として捉えているのかもしれません。

 

勉強の必要性

勉強は言葉を使います。

それはつまり魔法の勉強なのです。

過去様々な不思議事象があり、それを人は言葉によって説明してきました。

過去魔法であったことは、今や自然科学、社会科学の一部です。

 

僕の塾で、生徒は正直勉強を楽しんでいません。

勉強が楽しくない学生諸君にこそ読んで欲しい。

言葉は自然に使っているけれども、それは魔法に近いものなのだと。

 

勉強がもっとできればと思ったことがあるでしょう。

それがもっと得意になる魔法があればと思うでしょう。

 

人間はすでに魔法を持っています。たくさん人を動かすことができる、感動させることができるものを。

そいいう自覚を持ってこそ、勉強は楽しく、彩りや実りのあるものになると思います。

 

勉強が嫌いな人は、魔法を捨てているも同然です。

だから戦争や、争いが起こるのかもしれません。

 

僕は新興宗教の人間ではありませんが、言葉の力は信じています。

 

勉強嫌いな諸君が思っているより、世界はカラフルです。

楽しいです。だから勉強をして欲しいと思います。

ただの大学生のクセに、バイト先で僕がうるさい理由

始めに

僕はたくさんバイトしてきました。今もそうかもしれません。

あくまで社会人ではなく、大学生であり、社会人の人がよく言う「バイトに何が分かるんだ。」というのが最もよく当てはまるパターンかもしれませんが、それでもなお僕はバイト先で意見を発します。

多分ウザいと思われています。バイト仲間にもそう思われているかもしれません。

だけれどうるさいのをやめない。その理由を少し。

 

 

バイトと正社員の違い

これが先ず議論されなければいけないと思います。もちろん福利厚生面や社会保険等様々違いはあるのですが、一番は責任を負うか負わないかだと思うのです。

一般的には、バイトに責任の重くかかる仕事は回されません。例えばお金の管理等です。

また、職場に来る頻度が少ない。これもあってやはり正社員とバイトではできる仕事に差がでてきます。

 

嫌いなバイト、好きなバイト

長いことバイトしていると、後輩がどんどん入ってきます。

今まで見てきた中で、僕が嫌いなタイプと、好きなタイプがいます。

前者は、サボるやつ。遅刻するやつ。すぐ辞めるやつ。何も考えないやつ。

後者は、必死なやつ。稼ぎたいやつ。因果関係を考えられるやつ。

 

後者はバイトのあるべき姿だと思います。というか、常識に近いのかもしれません。遅刻なんてのは論外です。僕が一番嫌いなのは遅刻です。デートで遅刻して来ることすら考えられないと思ってしまいます。笑

 

やはり前者のような人間には仲間になって欲しくないので、ここで僕のうるさいポイントが一つ発揮されます。

 

上司の嘆きを聞いて

僕だって無鉄砲にうるさいわけではありません。ただやはり前項の前者のような人間が入ると、上司にあたる人の嘆き節を聞くわけです。(僕はなぜだかそういう役回りが多い)

「また、新人やめちゃったなぁ〜」

「遅刻多いなぁ〜」

「真面目に働いて欲しいなぁ〜」

などなどです。

嘆いているだけでは変わらないので、「じゃあもっと真剣に採用したらどうでっしゃろか。」そう提案します。

面接風景をとなりで感じて、ダメそうだと思ったらそれも伝えます。

あくまで一意見として。

 

管理職の辛さ

こればっかりは未経験なのでよくわかりません。ただ、大学生が簡単に働けるようなところだと出入りも激しいような気がします。

そもそも就職活動の時はあれだけ面接をするのに、バイトは一回しかも30分ほど。それで嘆かれてはこっちもたまりません。

バイトによってはほぼ、社員と同等のスキルが必要なものもあります。(コンビニとか)

だから僕は噛み付くわけです。「それでいつも失敗しているんだからやり方変えなはれ。」

 

大学生側にも罪はある

先ずやる気がない奴は来るな。そう思います。「楽そうなのできました。」みたいなやつが一番地雷です。

金が無くて、働かなきゃ死ぬ。そんな奴ほど(僕みたいに)辞めません。やりがいとかそんなのは二の次で、死が迫っているほど必死になると思います。

金を稼ぐのは楽ではないです。嫌なことだってたくさんある。残業だってさせられる。それを自分の意思でできるのは、必死なやつだけだと思うのです。

 

ブラックバイトとは

よってブラックバイトなんてのは、本人の感じ方だと思います。楽だと思っては入ればそりゃブラックだと思うでしょう。

僕は稼がなければ生きれないので、一時期話題になったワンオペ(一人で店舗を回すこと)も、辛いとはあまり思いませんでした。時給は発生しますし。これは就職してからもそうなんじゃないかな。

自分の思ってる範囲の狭い広いが、ブラック認定に関わってくのかもしれません。

人権がないとかはもちろんブラックですが。

 

主張だけが激しい学生

僕のバイトの同僚がまさにそういう状態です。求められていることができていないのに、給料上げろだの、休ませろだの言います。

僕は「アホ抜かせ」と思います。契約したシフトに先ず入れよと。

「働かないけど100万ください」そんな要望が通ると思うのかと。

僕は死ぬほど働いた上でなお死なずうるさいのです。うるさいにしてもこいつらよりはまだマシだろうと思っています。

 

僕の主張が強い理由

バイトでうるさいのにはこういうわけがあります。

時には上司と喧嘩、(まぁ話し合い)にもなりますし、意見がぶつかる時もあります。だけれどバイトはバイトとして、必死なやつのためにも、僕らの目線から分かることを伝えなければいけません。人一人で成り立つのならそもそもバイトは雇わないはずだからです。

一番いいのは駒になることでしょう。それはわかっています。だけど自分によくない。僕はまだまだ成長しなければいけない使命があるので、こんなところで収まっていてはいけないと思うのです。

だから契約をしっかり守った上で主張をします。

バイトを始めたい大学生、高校生に読んで欲しいなと思います。

 

 

 

ベンチャー企業か大手企業か

お久しぶりです。去る6月1日から採用面接が解禁され、周りの人たちに何故か大手かベンチャーか迷ってるという相談を受けます。

それについて書きたいなと思ったので。

 

なぜみんな大手を目指すのか

大手がいい人はなぜいいのでしょうか。

よく聞くのは周りがみんな出しているから一応応募はするという理由です。

僕的にもっともかわいそうだなと思うのは、親が大手志向だからという理由です。

親が子供の選択肢を狭めてどうすんねん!とは思いますが、論点がずれるので後ほど。

 

本当に大手は安定してるの?

親が子に大手を勧める理由には、やはり安定しているからということでしょう。

でも本当にそうなのかと疑うことも必要ですよね。

東芝だって、シャープだって怪しくなってしまう時代です。

あらゆることに関して、自分で考えるというのが必要になってきているのだと思います。

 

企業に安定を求めるな

実は恥を忍んで言うのですが、ぼくも最初は安定したところ・・・と思っていました。が、とあるベンチャー企業の人事の方に、企業に安定を求めるなと叱られました。

確かにそうだなと反省した覚えがあります。

自分がどんなところでもやっていける人間なら問題ないですもんね。その会社が潰れようが。

 

ベンチャーの利点

先ずベンチャー企業のいいところを挙げたいと思います。

これはまた別のベンチャー企業の採用担当の方(僕が読者になっているブログの方)に、打席がたくさん回って来るという風に言っていただいたことを覚えています。

これが真理なのではと思います。

成長したい!!という人にはとても魅力的な風に映りますよね。

 

大手企業の利点

次に大手の利点ですが、先ず人脈が広がる上にすでにノウハウがあるので、多分仕事がしやすいと思います。すでに顧客もいるのですぐに潰れる心配も確かにないと思います。

研修や福利厚生も高確率で大手の方が充実しているイメージです。

出来上がった環境にいたい人にはぴったりですね。

 

どちらがいいのか

もうお判りだと思いますが、つまりどちらがいいのかはその人によるのであります。

ただ最もありえないのは、親の意見で決めること、大手の方が安定しているから大手にすること、よく調べもしないでベンチャーを毛嫌いすることだと思います。

 

実際僕はベンチャーもええなぁと思っていました。ギラギラしている人が多いし、向上意欲も強い人が多い。僕は福利厚生から作りたいのではなく、(そこに興味はなくて)社会に影響の多い仕事がしたかったので、大手の方を選びました。

癖が強いひとが多くて、少し難しそうなのもありましたが・・・笑

 

チャンスが多いのが売りです

若手にも活躍の機会が多いです。こんな風に言う会社は個人的には信じていませんでした。

付加価値としてそれがあるぶんにはいいのですが、それを売りにしているとは如何にと思うのです。

会社に入った時点である程度必要なわけですから、活躍しなければいけません。どの会社でもそうなのにそれだけを売りにしている会社は他に何もないんだなと思います。

考え方は人それぞれですが。成長環境もどこにでもあるので。

自分に合うか合わないか、究極的にはこれです。

本屋大賞の本

まさに先週、電車内で、『君の膵臓をたべたい』という本を読んでいる女子高生がいました。本屋に行くたびに平積みにされているし、大好きなMr.childrenが映画の主題歌を歌うので、買って読んでみました。

一応ネタバレはしないので。

 

本の好み

本題は本屋大賞についてものを申すことなのですが、先ず前提として僕の本の好みを書いておきたい。

 

僕は基本的には文学を読みません。理由は何も本の中で解決しないし、人生よりもおもしろいものは書けないと思っているからです。人の心が書いているとかいいますが、人と会った方が良いと思います。

 

だから日常では起こらない、推理小説を好んで読みます。あとは一応専門なので哲学関係の本。

 

本選びの基準

どんな風にして、読む本を他の皆さんは選んでいるのか。

数パターンあると考えました。

  1. 話題の本(平積みから)
  2. 好きな作家がいる
  3. ジャンルが決まっている
  4. 紹介

概ねこんな感じなのではと思っています。今回僕はこの1、のパターンで『君の膵臓をたべたい』を手にしたわけです。

普段は3、の中で4をする感じでもあるのですが。

あくまで普段読まない人の意見だということをここではっきりさせたい。

 

書評

本題のこの本はどうだったのかということを書きたいと思います。

はっきり言って超つまらなかったです。帯に、「この本の題名に涙する」みたいなことが書いていたのですが、全くそんなことはありませんでした。

 

可能性としては、僕は心無い人間だということ。

読み慣れていないから、深くまで読めていないこと。

そして、本当につまらない。このどれかだと思います。

 

普段難しい本もたくさん読むので感じたことですが、携帯小説の延長のような、稚拙な文章で終始描かれていたと思います。

文庫本でも200ページ前後あって、それだけの文字数を使って、この程度のことしか伝えられないのかと、ある意味驚愕しました。

正直高校生でも書けるような。とにかく幼稚な表現にありふれたストーリーだったと思います。

 

批判しすぎるのもよくないですが、近年で最もつまらなかった。主題歌作る方も大変だなと。

 

本屋大賞なんて

本屋大賞を受賞したかなんかなのですが、それが全く読むに値しない賞なのだなと痛感しました。プロモーターにうまく乗せられているだけ、日本人の流行り好きにうまく漬け込んでいるように思います。

 

あれで泣いている他の人たちの方がすごいな、と逆に感心するほどです。

 

今回言いたかったことは、本屋大賞は信じるに値しない。読む本は自分でしっかり考えて選ぼうということでした。

 

文字の無駄遣いです本当に。このブログみたい。笑

 

 

 

 

 

 

電車にて。老人様に言われたこと。

僕は毎日学校に行くのにも、アルバイトに行くのにも電車を使います。

そこではさまざまな出来事が起こるわけです。

ほとんどは他人事なので観察しているのですが、自分に降りかかったできごとがあったので、書いておきたいなと思います。

 

座席問題

基本的には電車で、座れるなら座りたい。大体の皆さんが思っていることだと思います。ラッシュ時などは諦めますが、空いているときは僕も座ります。

僕は通勤はしないので、比較的空いている時間によく電車に乗るのですが、今日はそこでご老人に説教を食らいました。

 

具体的に言われたこと

何を言われたかというと、

「ここの席を譲れ。若者は立て。そんなんだからガリガリなんだ。」

そんな内容でした。

まぁ後半部分については何も言い返せないのですが。笑

 

なんでこんなことになったかは、単純で、

僕は他にたくさん席も空いていたので、(立ってる人もいない)一番近かった優先席に座ってしまったのです。これが運の尽きでした。

 

どうも優先席は自分のものだと思っていたみたいです。しかも僕の横は空いているのに。何かを勘違いしているようで、あそこに若者は座ってはいけないと思っているようでした。

 

最近の若者は

決め台詞のように「最近の若者は」と嘆いて老人は僕の隣に座りました。

そこから延々説教が続くのですが、席を退くのも面倒ですし、面白半分でその話を聞いていました。

曰く、「今のこの日本社会があるのは、俺らのおかげなんだからもっと尊敬しろ。最近の若者はそれが足りてない。だから席を譲ることもしないんだ。」だそうです。

 

僕は呆れかえりました。先ず今の日本社会を動かしているのは若者と彼が言う人たちです。それに彼の功績を知らないし、席は空いています。そもそも自分が若いときは、老人を尊敬していたのか。様々頭に浮かびました。

 

老人という免罪符

理由は考えてみたけどわかりません。相槌を一つも打たない僕をみて、話すのをやめたのですが、周りが見えていないのか。

 

そもそも電車に関して言いたいことはたくさんあるのですが、妊婦さんやけが人、それが必要な人であればさすがに席を僕だって譲ります。

でも明らかにその老人は元気です。僕に噛み付くくらいですから。彼は自分のその身分を免罪符のように使っている、悪徳宗教の人間のような気がしました。

 

宗教改革が起こったように、彼らの意識も改革しなければいけないように感じました。

 

優先対象がいないのだから席座ってもいい。先ずここを理解して貰いたい。

 

私が作った社会

そんな風に言いますが、汚い社会を作ってくれたもんだと思います。

功績は確かに多いかもしれない。だけれど悪しき風習も、我々が是正するのに苦労するほどに蔓延しています。そもそもそう言っている自分が、社会の具現であることを理解してほしい。

 

大手を振って老人であることを振りかざすような人間が作った社会だから、こんな風に感じる人がいるのかもしれません。

 

歳をとると

歳をとると、考えを変えるのは難しいと言います。

ましてや自分が正しいを思っている人ほどそれは難しい。

無下に耐えることを選択したくはないので、啓蒙しなければならないのですが、それがまた難しい。

 

医療技術の発達により、死んでもらうのを待つということも長期的戦略になるので。

 

考えてみればその世代の年金はかなり多いはずだし、僕なんかより収入も貯蓄も多いはず。にもかかわらず敬老優待券を振りかざし、それより高い運賃を払っている僕に噛み付くのはおかしいでしょう。

 

老人優先の政治をやめさせるためにも、選挙に行かなければいけませんね。

 

説教くさい内容になりました。

政治についてはあまり書きたくないので、こんなもんで。

ぼくが嫌いな「女子力」

先日ジェンダー論について書いたのですが、その派生と言うべきか、最近耳につく「女子力」について思ったことを書いておきたいと思います。

 

テレビや街中で

改めてどこでよく「女子力」という言葉を聞くか思い出して見ると、最近はテレビからよく聞くなぁ〜と思います。

メディアがこの言葉の蔓延を助長してるんだということですね。

街中では、(失礼ですが)およそ女の子とは思えない振る舞いの子が、この言葉をよく使っているところを見かけます。

 

何をもって「女子力」なのか

日本人が、まぁ特に女性がよく使う言葉で最も意味が分からなくなりつつある言葉の一つが、「かわいい」だと思います。

何が「かわいい」のかはややこしくなるので、いずれ議論しますが、ともかくこの定義曖昧な「かわいい」ものを見たときに「女子力」という言葉がよく発せられています。

 

一方で、掃除、洗濯、おしゃれなカフェにいること、おいしそうな料理を作ったこと、これらを「女子力」が高いと表現する人たちもいます。

 

定義が曖昧すぎてイマイチよく分からない言葉ということが分かりました。

 

ぼくが嫌いな「女子力」

先述した中で僕が嫌いな方は後者です。

「かわいい」=「女子力」これはまだ頑張れば理解できなくもないのですが。

 

普通に家事をしているだけで、それを「女子力」というのは何なのか。

普段はお得意のジェンダー論を振りかざしながらも、「家事」=「女子のもの」を暗に認めてしまっているように思います。

 

この「女子力」を認めてしまうなら、はっきり言って、僕は女子より女子になってしまいます。

家事ができることを褒めて欲しいのか、料理ができることはそんなに凄いことなのか、掃除ができることは偉いのか。

全て人間が生きる上で必要なスキルです。僕に言わせればですが。

家事すら完璧にこなせない人間に、他に何を求められるんだろうと思ってしまいます。

 

人間力

以前どこかで見ましたが、「女子力」の大体は、「人間力」で片付くもの、つまりはわざわざ新語にして崇め奉るほどのものではないと思います。

 

僕は「女子力」が高いと言われることがあまり好きではありません。

歯のホワイトニングをしていると言うと、必ずその言葉が飛んできます。

だけれど、ホワイトニングをしているのは、自分がそんなにイケてる人間ではないので、せめて会う人へのエチケットとして、歯ぐらいは綺麗にしようという気持ちです。(2割くらい。実際は衛生士さんが可愛いからが8割くらい。笑)

 

なので結論としては、いずれなくなってしまうような言葉なのかなと思うということです。

 

男女差別とはージェンダー論ー

大学での所属学科が、人文社会系ということもあり、その専門科目の中にはジェンダー論なるものが存在します。

一言でそれはこうだ!と明言するのは難しいですが、性別による差別に関する学問というものが近いのではないでしょうか。それも社会的な性差に絞っているような印象を持ちます。

 

最初に言っておきますが、僕はジェンダー論専攻ではありません。なぜそれを専門科目として選ばないか、その理由を今更まとめておきたいです。

 

男女差別はダメなもの

僕たちの世代は、一般的に初等教育の時からこう教わるのではないでしょうか。まぁそりゃそうだと自然に思っていました。

確かに能力があるのに機会に恵まれないという意味での差別はいけないものですよね。

 

これは僕が専門で学んでいる『正義論』でも同じことを言っています。全員が、その機会を得られる環境は作らなければいけないと思います。そこから成功するかは個人の裁量なのですが。好きな人がいると思うので、一応格差原理という社会学的な原理に基づいていますので、気になる人は調べてください。

 

なので、僕もこのような意味での男女差別はあってはならないと思っています。

 

ジェンダー論が嫌い

だけれどはっきり言って僕はジェンダー論が大嫌いです。なので講義を聞いているといつもイライラしています。

それは、究極的にジェンダー論はモテない人の僻みだと思っているからです。あるいはうまく「女」使って生きている女に対する僻み。なんというかそんなマイナス感情を元にできたような学問に見えています。

普通はポジティブなものが根っこにあると思うのです。「愛」について知りたい。(哲学)とか、この世の真理を解き明かしたい。(物理、数学等)とか。

 

そして、男性でジェンダー論を主にやっている人を見たことがありません。それがもう全てを語ってるのではないでしょうか。

 

具体的には

さっきは抽象的すぎたので、具体的に感じることを。

例えば以前は男性に比べて女性は給料が安かった。そもそも総合職採用すらなかった。これが是正され、レディースデーなどができ、採用もされるようになりました。

ここまでは良いと思います。機会の均等化という意味で。

そこから、様々な機会において平等になった現代社会でも、レディースデーの廃止はおろか、女性専用車両、女性専用なにがしが多くできました。

完全に都合のいいように学問という名をもって行っているわけです。別に無くせとはいいませんが、それならメンズデーなども作ってくれればお互いハッピーなのになと思います。

 

また、「なんで女はスカートを履かなきゃいけないの?」とか、あるいは「男みたいな格好はダメなの?」とか、あげればキリがないです。

 

「じゃあズボン履けよ。」「男みたいな格好しろよ。」これで解決です。周りから変な目で見ないでほしいと次は言ってきますが、周りと違うんだからそりゃみられるでしょう。ここは日本なんだから。

 

そりゃだって錦織選手とかをみんな人とは違う目で見るじゃないですか。人よりテニスうまいからって。(錦織選手をバカにはしてません。むしろ大ファン。)人と違う格好してたらそりゃ見られますよねぇ。

 

やっている人の気持ちは?

じゃあジェンダー論に取り憑かれたように活動する人ってどんな気持ちなんでしょう。

多分生きづらいんですよね。人と違うから。それがまた色眼鏡で見られるから。

 

でも考えても見てください。完璧にその仕事をこなしている錦織選手ですら試合に負けると批判を受けます。彼は日本人で一番テニスが強いですが、自分よりも下手な人に批判されるわけです。

 

何が言いたいかというと、批判は無限です。トップの人でさえ批判を受けます。だからそれにいちいち反応して、それを性差と受け止めて学問にするべきなのかとすら思うわけです。

 

もう一度今の錦織選手の例を思い出してみてください。錦織選手はそれでも気にせずプレーします。

同じようにジェンダー論者が「女」を使って上手に生きている人を批判したところで、彼女たちは全く知らん顔です。

 

なんども言うけれど

ここで大前提ですが、性別による、機会の不均衡を認めろとは思っていません。

だけれど、当たり前のように男が得意なこと、女が得意なこと、脳科学的にもそれが証明されつつあるので、能力的な意味での性差は仕方ないと思います。

 

そこにジェンダー論を持ち込んで、自分ではなく世間を変えようなんていう甘いことを誰が許すんでしょうか。僕はそういう意味で最もくだらない学問の一つとすら思っています。(あくまでよく知らないけれど。)

 

スカート履きたくなければ履かなきゃいい。その代わり無限に批判があることを分かって、それでも関係を作ってくれる人を大事にする。こんな当たり前のことをすれば、そもそも大手を振って唱えるようなことでもない気がします。

 

必要なこと

あくまで、配慮は必要です。妊娠している女性には席を譲る。こんなもんはジェンダー論でもなんでもなく、常識です。性差はしょうがない。だって違うんだもの。先天的にできている差を、後天的にどうにかすることは本当に難しい。

 

だから違っていいと思います。自分にしかできないこともあるだろうし。

僕が思う必要なことは、同じ人間だという理解を元に、得られる機会を平等にし、お互いに配慮をする。これだけです。とてもシンプルで分かりやすいと自分でも思います。

 

つまりはなんで学ばないかというと、全て自分の考え方次第で片付くものではないですか。