ぼくの頭のなか、ひとの頭のなか

哲学を少しかじったぼくが、ぼくの頭のなか、ひとの頭のなかを考えたい

留学しろとは言うけれど

僕は高校留学をしていたので、大学の後輩や、同期に留学についてよく聞かれます。

最近ではもはやトレンドになっているような気もしています。

なので留学に関してざっくり考えたことを書いてみます。

 

留学の種類

何度も言いますが、僕は高校留学組なので、大学生になってから留学するのは実際どうなのかはわかりません。

でも、両者する人間は見てきているので、違いはわかります。

 

先ず、高校留学生。これは何か目的を持って来るパターンと、そうでないパターンに分かれます。

前者は例えば〜のスポーツがやりたいとかです。

後者は親に来させられるパターン。

 

僕の経験ですが、若いうちはほんと怖いもの知らずで、特に打算的な気持ちもなく、純粋に留学に来ているイメージがあります。

 

次に大学からの留学。これは周りがしているから、学校の決まりだから、就活に有利になりそうなど、もちろん高い志を持っている人もいますが、多くはそのパターンだと思います。

 

留学の価値

例えば僕の親が生まれた、それくらいの時代。

その時に英語が話せるということは、とんでもなく価値のあることで、留学していたとなればちやほやされたことだと思います。

 

だけれど最近そこまでじゃないなぁというのが正直なところです。

確かに珍しいと思います。多言語話せる人間は。

だけれど僕の大学だと、留学経験がなくともそこそこ聞けるし時間をかければ話せる人間がほとんどです。

 

留学で得たものについては後述ですが、留学そのものにもう価値はないんじゃないかなぁと考えています。

 

留学で得られるもの

では留学で得られるものとはなんでしょう。

正直それは人それぞれだと思います。僕はしてよかったと思っています。それはひたすら頑張ることを覚えられたからなのですが、正直そんな経験は日本の高校の部活とか、受験とかでもできますよね。

 

留学の神格化

よく言われるのことといえば、「留学してたんだ〜すごいね!」みたいなことです。

確かに、コミュニケーションとか、そういった面では努力は必要です。そしてそれを成し遂げたら力にはなるでしょう。

だけれど、技術が発達してきて、そのうち同時通訳のツールとかもできるでしょう。そうすれば留学というのは、もう自分を鍛える以外の意味を持たなくなるかもしれません。

つまりは、就職に向けた付加価値等にはなりづらいということですね。

そういった意味で、留学はもはや神的すごいものでもないということです。

 

実際はどんな扱い受けるの?

実際受ける扱いとしては、数パターンあります。

先ず、就職活動では、

  • 「英語話せるんだ〜」「高校時代にその選択をした理由は?」
  • 「実際そこで得たものは何ですか?」
  • 「それまでの自分と留学後の自分を比べてどうですか?」

などです。ご覧の通りほぼ、英語については触れられません。むしろそこで得たものとかを聞かれます。つまり会社的にはそれが大事ということでしょうか。

 

次に、日常生活では、

  • 女の子と飲みにいった時に、帰国子女と言うとちょっと盛り上がる。(帰国子女をベストなタイミングで言う選択が必要)
  • 外国人に道を聞かれてもまぁ困らない。
  • 英語喋ってよと必ず言われる。
  • どうも行っていた国と学校のタイプによってカーストがあるらしい。
  • バイトの面接ではちょい有利かも

とまぁ女の子にチヤホヤされる以外は特にないです!笑

 

カーストについて

ちなみに、先ほど学校の種類によってカーストがあると言いましたが、

どうも現地校に行っている人が強くて、インターナショナルスクールみたいに、日本人と学ぶタイプの学校はあんまりのようです。

そして、単品で行くのか、親とセットなのかも関わってくるみたいですね。

 

ちょっと冷めすぎじゃないの

自分でも留学していたくせに、冷ややかすぎると思います。だけれど、自分を探しにきたり、何かを変えたいと言ったり、わざわざ海外にきてするほどの事でもないと思うんですよね。

なので、留学したい人は、先ず冷静になってほしい。

お金もかかるし、これからの時代、それが一つの価値として効力を発揮するかをしっかり考えたほうがいい。

進んで苦労しておきたい。大変な思いをしたいと言う人は行くべきだと思います。はっきり言って、辛いことしかないです。(僕は能天気なのかほぼ、辛くなかった。)

そのくせ得られるものは苦労に耐えうるメンタルくらいのもんです。他は日本でも身につくんじゃないかな?

 

しかもメンタルを手に入れたからと言って、何も辛くないわけではないんですよね。

種類が違えばそりゃ辛いです。失恋の辛さと、受験に失敗する辛さが違うように。

 

言いたいこと

まぁつまり結論としては、よく考えてと言いたいです。

基本的には自分で考えることなので。ただ留学してこんな風に考えるやつも出てくるのが、留学なんだなぁ〜と思ってください。

大体の人は行って良かったと言うので。僕のは多分少数意見です。

 

 

 

 

哲学者は人間嫌い?

今回は、せっかく哲学を学んでいるので、それに関わることをまとめておきたいです。

きっかけはまたもや就職活動中なのですが、よければ読んで、偏見があればそれに気づいてほしいなぁと思います。

 

よく聞かれる質問

就職活動をしていると、ES(エントリーシート)と呼ばれる、まぁ応募書類のようなものに、自分の専攻を書きます。

アルバイト先に出す履歴書と思ってもらってもいいです。その場合は得意な科目のところですね。

 

そこに僕は書くわけです。「専攻:哲学」と。

こっちとしては本気を出して学んでいることなので、堂々と書いているのですが、

面接に行くと、「何やってんの?」とか「何で哲学なの?」とか、挙句「変人ばっかりなイメージだよね。」と言われます。(経験談

 

もはやハラスメントの域なのかもしれませんが、僕はそういうのはあまり気になりません。

とかく、このような質問に対して疑問を持つわけです。

 

哲学って何やってんの?

教授に前々から言われていたのですが、必ず「何で哲学やっているの?」と聞かれるので、答えを用意しておけと。それを痛感しました。

 

哲学というのは一括りにするのはとても難しくて、でも簡単に言えば、人間が生きていく上で行なっている思考とか、そういうものは全て哲学と呼べるんじゃないかなと思っています。全ての学問の始まりだとも思っています。

 

僕が哲学に目覚めたきっかけというのは、大学受験のために予備校に通っていた時です。彼女がいたのですが、そのときふと、「好き」という感情の正体は何なのだろう。と思いました。

今まで色々な人を「好き」になったけれども、なぜ外見の違う相手に同じような気持ちを持つのだろうと。

 

これだけ聞くと、気持ち悪いやつかもしれません。だけどみんな一度は思うことだと思います。

 

こういった、思考、なぜ?と思うこと、そんなのに関わるのが哲学なのではないでしょうか。

 

哲学は人を救うことだってある

哲学ってそれでも全く実用的ではないように思っています。

僕が専門として研究しているジョン・ロールズの『正義論』は、内容は非常に素晴らしいのですが、思考実験に過ぎないとの批判も止みません。

内容はまたいずれ。

ただ、哲学書といわれるものに書いてある全ては、思考実験に過ぎないのです。多分。

 

ただその思考実験が、人の心を楽にすることもあります。

とあるエピソード

友達や知り合いと喧嘩したことはありますか?

その際、「何でこいつはこんなことが分かんないんだ。」とか、

「こいつは何も考えてない。」とか、僕が言われたものでいえば、彼女に、「何言ってるのかわからない。」と言われたこと、思ったことはないでしょうか。

 

誰しも一度はあると思います。この原因を考えた時に、やはり言葉が原因なのではないかな。と思うのです。

人は言葉という厄介なものに縛られて暮らしています。言葉がないと何もできない。だけど人によって世界の見え方、切り取り方は違うわけです。

そんな人たちが共通の言葉を使うのだから、衝突があっても仕方ない。

だから相手の世界に近づいてあげることが、解決策だと思いました。

 

よく彼女と喧嘩していたので、僕ばっかりいじめられていたので、(これを見られると怒るかもしれません。笑)この方法を取ってみると、楽になりました。

 

哲学者は人間嫌い?

よく科学者は、人間嫌いそうというレッテルを貼られています。

変人とかもそうですね。なぜか人のことを嫌いそうというイメージが強いのです。

 

ここまで読んでくれた方はわかると思いますが、僕も哲学をかじった、哲学者の端くれとして、哲学者は決して人が嫌いではありません。

 

このことを伝えたい。僕は一応西洋哲学を、プラトンから順に、主な哲学者の著作を読んできました。その中で、人について考えていないひとは一人もいませんでした。

確かに、変人に見えるかもしれない。だけれどそれは、哲学者は必死に、人間の世界に近づこうとして、とっつきにくく見えているのだと思います。

普通の人と違って見えるのは、一般には、個人の世界に近づくことがコミュニケーションなのですが、哲学者は人間の世界を解き明かそうとしているのだと思います。

 

なので、周りに哲学をやっている人がいたら、じっくり話してみてください。みんな話をするのも聞くのも大好きです。なぜなら人間が好きだから。

みんなからも少しでいいので、我々の世界に近づいてほしいなと思います。

 

僕は今の教授に会って、とても優しい人だなと思っています。

まぁそれぞれ特性があるので、おかしいところもあるのですが、(めっちゃケチだったり)それは他にもそういう人がいるので、むしろ人間的です。

 

とはいえイマイチ近づきづらい

こんな人もいると思います。無理にする必要はないです。

僕も美人すぎる人には近づきづらいです。そんな感じです。

伝えたいことは、人間としてみてほしいということですね。

 

決して他の人とうまくいかないから、哲学を学んでいるわけではないです。人事の方、特によろしくお願いします。笑

 

全てが完璧ではない

とはいえ哲学者とて全てが完璧ではありません。

なので、僕にも、まわりに哲学者にも、気づいたことがあったら教えてあげてください。

 

ちょっとグダついてしまいましたが、こんなもんでご勘弁を。

 

就職活動とそれに付随する諸々について

僕の周りの仲間たちは今、就職活動に忙殺されています。

僕の周りの後輩たちは今、就職活動に不安を抱えています。

幸いなことに、僕は早い段階で就活を終えたので、それに対する考えとかを、冷めぬ内に書き留めておきたいと思います。

長いです。なので、何が言いたいかは一番最後に書いてあります。

 

そもそも就職活動って??

こうして文字に起こしていると問題ないですが、特に聞いている時には、それが「就活」なのか「終活」なのかわからない時があります。(笑)

実際就職活動でミスをして、自殺してしまう人もいるので笑っている場合ではありませんが。

一般的には新規に学校から卒業する人たちが、自分を採用してくれる会社を見つけることですよね。

そしてもっと意識の高い人は、自分が入りたい会社に、自分を売り込みに行く。

 

日本流「就活」

以前、僕は外国に住んでいたことがあるのですが、日本の就活は結構特殊だと感じています。当時の友人たちは、あまり疲弊している様子もなかったので。

 

ではどこが日本流なのかというと、みんなが3年で高校を卒業し、4年で大学を出て、その足で就職する、その悪く言えば、ベルトコンベアー感です。

 

でもここで「海外では〜」と言っても仕方ないことですし、それに日本流が悪いわけではないと思います。僕はそれが合っていましたし、少し好きです。

 

目的は?

大体の学生が、内定を獲得すること。これを目標にしていると思います。

でも受験勉強などでもよく言うように、それをゴールにしてはいけないと僕は感じています。これから働くわけですから、しかも(古風に言えば)男は40年ほど。

なので、続けられる職業、つまりはそれなりの理由を自分の中で見つけないといけないのです。そのための就活期間なのではないでしょうか。

 

就活の問題点

とはいっても、就活そのものに問題点があるとも思います。

  • そもそも、採用活動の期間を限定し、学年まで限定してしまう。企業の可能性を減らしているし、学生もその期間に入るまでは、就職のことを考えない。
  • 企業が学生の取り合いになってしまい、早め早めになってしまう。でも学生はよく考える時間をさらに持てなくなる。
  • 理論上全ての企業に学生がエントリーでき、ES(エントリーシート)を提出すれば、全ての学生が審査対象になってしまう。
  • 様々な理論が混在しており、どれを信用するのかイマイチわからない。
  • 同様にサイトがありすぎて、どれがいいのかわからない。

他にも数え切れないくらいありますが、思いつく限りでもこんなにありました。

 

対策

このような書き方をしたからには、解決策を提示しないといけないような気がしています。でも僕は就職のプロでもなければ、内定を得ただけの何も成し遂げていない大学生なので、参考までにしてください。

 

僕がこんな状況で心がけたのは、自分に自信を持つこと。どんな人間なのかを知ること、この2つだけです。

 

前者から言えば、自分を好きになることです。今まで成し遂げた何かがあれば、自然に自身になっていくことと思います。自信があると、それが表情に出ます。

 

後者は俗に言う自己分析というやつです。ここが一番大事なことなのですが、僕は一人で自己分析といっても何をしていいかわからなかったです。

なので、学生という身分を存分に使い、沢山大人に会って話す。そして自分を知るという方法を取りました。学生には会社の人は積極的に会ってくれます。使わない手はないです。もちろん、辞退する会社も出てくるので、そこは大変忍びないです。

 

哲学と就活

僕はここで、哲学を学んでいて良かったと思いました。

自分を知るとは、究極です。難しいです。

僕は自分が恋愛に失敗しても、何でまた同じような「好き」という謎の気持ちを「違う相手」に持つのか。そこが気になって哲学を始めました。

詳しい話は長くなるので、次回します。

何が言いたいかというと、哲学は自分を知る上では欠かせません。この世の矛盾も、人間関係も、何もかもが自分と繋がっていると僕は理解しています。

 

最後に

長くなりました。すみません。まぁ僕のメモ程度なので。

就職活動。究極の必勝方法は自分が握っているということですね。

まとめると。

そのためならどれだけ時間を使ってもいいんじゃないかな。若いし、時間は多いから。

迷ってる人は日本流でとりあえずコンベアーに乗って、転職も視野に入れながらやるのもいいかもしれません。

 

 

最近の子は

初めまして。

僕は普段から考えることをやめずにはいられない人間です。

大学に入って、哲学を始めたせいかもしれません。

日頃からこれは!と思うこともあるのですが、書き溜めないのですぐ忘れます。

なので書き溜めていきます。

別に見せる必要もないのですが、フィードバックが貰えるかもしれないので。

 

では、今日思ったことから。

 

最近の子は

僕は塾講師としてアルバイトをしています。

講師の仲間から、「最近の子はコミュニケーション能力がない 。」

そういう言葉をよく聞きます。

でも本当にそうなのかなと僕は思いました。

 

昔の子も

僕個人の意見としては、今も昔もそういう子は一定数いたんじゃないかなと。

最近、昔、そういうカテゴリーが間違っていると感じています。

 

コミュニケーション能力

では先の講師の話に戻ります。子供達にコミュニケーション能力がないことについて。

彼が言うには、返事の声が小さく、およそ会話とは思えないような声で話したり、目を見て話せなかったりということをもってそう言うそうです。

 

確かにそういう子は多いかもしれない。スマホやゲームの多さがそうさせてるといいますよね、よく。

 

本当の原因は?

僕は勝手に、親がスマートフォンなどのツールに夢中になっていることにあるのではないかなぁと思っています。

子供達が多くの時間を過ごす場所は、家と学校です。

だから単純に家で子供達と話してあげてほしいなぁと思っています。

 

親の娯楽はどうなるの?

子供達が眠った後にすれば良いとおもいます。寝付かないからそれまでスマホを弄るのではなく、たくさん話させて、疲れさせればいいのかもしれません。

大人の端くれになって気づきましたが、子供は思ったよりたくさんのことを見て、理解しています。

偉そうに書いていますが、僕は子育て経験もありません。なんなら子供は好きではありません。だけれども考えることはできます。

 

一般的に子供はこれからの社会の宝です。勉強のできるできないに関わらず、(後から多少は関わるけれど)親と話すこと。これが社会勉強の一つではないでしょうか。