ぼくの頭のなか、ひとの頭のなか

哲学を少しかじったぼくが、ぼくの頭のなか、ひとの頭のなかを考えたい

男女差別とはージェンダー論ー

大学での所属学科が、人文社会系ということもあり、その専門科目の中にはジェンダー論なるものが存在します。

一言でそれはこうだ!と明言するのは難しいですが、性別による差別に関する学問というものが近いのではないでしょうか。それも社会的な性差に絞っているような印象を持ちます。

 

最初に言っておきますが、僕はジェンダー論専攻ではありません。なぜそれを専門科目として選ばないか、その理由を今更まとめておきたいです。

 

男女差別はダメなもの

僕たちの世代は、一般的に初等教育の時からこう教わるのではないでしょうか。まぁそりゃそうだと自然に思っていました。

確かに能力があるのに機会に恵まれないという意味での差別はいけないものですよね。

 

これは僕が専門で学んでいる『正義論』でも同じことを言っています。全員が、その機会を得られる環境は作らなければいけないと思います。そこから成功するかは個人の裁量なのですが。好きな人がいると思うので、一応格差原理という社会学的な原理に基づいていますので、気になる人は調べてください。

 

なので、僕もこのような意味での男女差別はあってはならないと思っています。

 

ジェンダー論が嫌い

だけれどはっきり言って僕はジェンダー論が大嫌いです。なので講義を聞いているといつもイライラしています。

それは、究極的にジェンダー論はモテない人の僻みだと思っているからです。あるいはうまく「女」使って生きている女に対する僻み。なんというかそんなマイナス感情を元にできたような学問に見えています。

普通はポジティブなものが根っこにあると思うのです。「愛」について知りたい。(哲学)とか、この世の真理を解き明かしたい。(物理、数学等)とか。

 

そして、男性でジェンダー論を主にやっている人を見たことがありません。それがもう全てを語ってるのではないでしょうか。

 

具体的には

さっきは抽象的すぎたので、具体的に感じることを。

例えば以前は男性に比べて女性は給料が安かった。そもそも総合職採用すらなかった。これが是正され、レディースデーなどができ、採用もされるようになりました。

ここまでは良いと思います。機会の均等化という意味で。

そこから、様々な機会において平等になった現代社会でも、レディースデーの廃止はおろか、女性専用車両、女性専用なにがしが多くできました。

完全に都合のいいように学問という名をもって行っているわけです。別に無くせとはいいませんが、それならメンズデーなども作ってくれればお互いハッピーなのになと思います。

 

また、「なんで女はスカートを履かなきゃいけないの?」とか、あるいは「男みたいな格好はダメなの?」とか、あげればキリがないです。

 

「じゃあズボン履けよ。」「男みたいな格好しろよ。」これで解決です。周りから変な目で見ないでほしいと次は言ってきますが、周りと違うんだからそりゃみられるでしょう。ここは日本なんだから。

 

そりゃだって錦織選手とかをみんな人とは違う目で見るじゃないですか。人よりテニスうまいからって。(錦織選手をバカにはしてません。むしろ大ファン。)人と違う格好してたらそりゃ見られますよねぇ。

 

やっている人の気持ちは?

じゃあジェンダー論に取り憑かれたように活動する人ってどんな気持ちなんでしょう。

多分生きづらいんですよね。人と違うから。それがまた色眼鏡で見られるから。

 

でも考えても見てください。完璧にその仕事をこなしている錦織選手ですら試合に負けると批判を受けます。彼は日本人で一番テニスが強いですが、自分よりも下手な人に批判されるわけです。

 

何が言いたいかというと、批判は無限です。トップの人でさえ批判を受けます。だからそれにいちいち反応して、それを性差と受け止めて学問にするべきなのかとすら思うわけです。

 

もう一度今の錦織選手の例を思い出してみてください。錦織選手はそれでも気にせずプレーします。

同じようにジェンダー論者が「女」を使って上手に生きている人を批判したところで、彼女たちは全く知らん顔です。

 

なんども言うけれど

ここで大前提ですが、性別による、機会の不均衡を認めろとは思っていません。

だけれど、当たり前のように男が得意なこと、女が得意なこと、脳科学的にもそれが証明されつつあるので、能力的な意味での性差は仕方ないと思います。

 

そこにジェンダー論を持ち込んで、自分ではなく世間を変えようなんていう甘いことを誰が許すんでしょうか。僕はそういう意味で最もくだらない学問の一つとすら思っています。(あくまでよく知らないけれど。)

 

スカート履きたくなければ履かなきゃいい。その代わり無限に批判があることを分かって、それでも関係を作ってくれる人を大事にする。こんな当たり前のことをすれば、そもそも大手を振って唱えるようなことでもない気がします。

 

必要なこと

あくまで、配慮は必要です。妊娠している女性には席を譲る。こんなもんはジェンダー論でもなんでもなく、常識です。性差はしょうがない。だって違うんだもの。先天的にできている差を、後天的にどうにかすることは本当に難しい。

 

だから違っていいと思います。自分にしかできないこともあるだろうし。

僕が思う必要なことは、同じ人間だという理解を元に、得られる機会を平等にし、お互いに配慮をする。これだけです。とてもシンプルで分かりやすいと自分でも思います。

 

つまりはなんで学ばないかというと、全て自分の考え方次第で片付くものではないですか。