ぼくの頭のなか、ひとの頭のなか

哲学を少しかじったぼくが、ぼくの頭のなか、ひとの頭のなかを考えたい

電車にて。老人様に言われたこと。

僕は毎日学校に行くのにも、アルバイトに行くのにも電車を使います。

そこではさまざまな出来事が起こるわけです。

ほとんどは他人事なので観察しているのですが、自分に降りかかったできごとがあったので、書いておきたいなと思います。

 

座席問題

基本的には電車で、座れるなら座りたい。大体の皆さんが思っていることだと思います。ラッシュ時などは諦めますが、空いているときは僕も座ります。

僕は通勤はしないので、比較的空いている時間によく電車に乗るのですが、今日はそこでご老人に説教を食らいました。

 

具体的に言われたこと

何を言われたかというと、

「ここの席を譲れ。若者は立て。そんなんだからガリガリなんだ。」

そんな内容でした。

まぁ後半部分については何も言い返せないのですが。笑

 

なんでこんなことになったかは、単純で、

僕は他にたくさん席も空いていたので、(立ってる人もいない)一番近かった優先席に座ってしまったのです。これが運の尽きでした。

 

どうも優先席は自分のものだと思っていたみたいです。しかも僕の横は空いているのに。何かを勘違いしているようで、あそこに若者は座ってはいけないと思っているようでした。

 

最近の若者は

決め台詞のように「最近の若者は」と嘆いて老人は僕の隣に座りました。

そこから延々説教が続くのですが、席を退くのも面倒ですし、面白半分でその話を聞いていました。

曰く、「今のこの日本社会があるのは、俺らのおかげなんだからもっと尊敬しろ。最近の若者はそれが足りてない。だから席を譲ることもしないんだ。」だそうです。

 

僕は呆れかえりました。先ず今の日本社会を動かしているのは若者と彼が言う人たちです。それに彼の功績を知らないし、席は空いています。そもそも自分が若いときは、老人を尊敬していたのか。様々頭に浮かびました。

 

老人という免罪符

理由は考えてみたけどわかりません。相槌を一つも打たない僕をみて、話すのをやめたのですが、周りが見えていないのか。

 

そもそも電車に関して言いたいことはたくさんあるのですが、妊婦さんやけが人、それが必要な人であればさすがに席を僕だって譲ります。

でも明らかにその老人は元気です。僕に噛み付くくらいですから。彼は自分のその身分を免罪符のように使っている、悪徳宗教の人間のような気がしました。

 

宗教改革が起こったように、彼らの意識も改革しなければいけないように感じました。

 

優先対象がいないのだから席座ってもいい。先ずここを理解して貰いたい。

 

私が作った社会

そんな風に言いますが、汚い社会を作ってくれたもんだと思います。

功績は確かに多いかもしれない。だけれど悪しき風習も、我々が是正するのに苦労するほどに蔓延しています。そもそもそう言っている自分が、社会の具現であることを理解してほしい。

 

大手を振って老人であることを振りかざすような人間が作った社会だから、こんな風に感じる人がいるのかもしれません。

 

歳をとると

歳をとると、考えを変えるのは難しいと言います。

ましてや自分が正しいを思っている人ほどそれは難しい。

無下に耐えることを選択したくはないので、啓蒙しなければならないのですが、それがまた難しい。

 

医療技術の発達により、死んでもらうのを待つということも長期的戦略になるので。

 

考えてみればその世代の年金はかなり多いはずだし、僕なんかより収入も貯蓄も多いはず。にもかかわらず敬老優待券を振りかざし、それより高い運賃を払っている僕に噛み付くのはおかしいでしょう。

 

老人優先の政治をやめさせるためにも、選挙に行かなければいけませんね。

 

説教くさい内容になりました。

政治についてはあまり書きたくないので、こんなもんで。